長年金融機関に勤めていた私が転職に至った経緯と感じたこと(60代男性)

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以前、私は首都圏にある金融機関に勤務していました。世の中の趨勢で私の勤務先もご多分に漏れず、中高年者を外部に出していくようになりました。そして私が50代半ばに差し掛かるころには、少し前まで10名ほど残っていた私の同期社員もすべて外部に出てしまい、社内に残っているのは気が付けば私一人となっていました。

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これもどこの企業でも同様かとは思うのですが、50代半ばともなりますと役職定年となり、「○○長」という肩書こそありますが、年収はそれまでの半分近くに下がってしまいました。

その年齢に差し掛かる前に、諸先輩方の悲哀もつぶさに見てきましたので、自分も外部に出たいとの希望を上層部に挙げていました。

しかしながら、上層部は「お前の代わりがいない。」との甘言を用い、なかなか自分を外部には出してもらえませんでした。(私の1つ下に正社員で1名だけ残っていた後輩も同様でした。もちろん私の上の正社員は誰も残っていない状態です。)

私と私の1つ下の後輩は上層部からすれば非常に使い勝手がよかったのでしょう。二人して外部に出たいとの希望を何年も出していましたが、その当時のポジションを守ることを命ぜられ続けました。いわば飼い殺しです。

ただ、我々二人も生活が懸かっています。その当時のポジションにいれば仕事も慣れていますし、周りからも下にはおかない態度で接せられますが、58歳になるとさらに年収が下がることがわかっていましたので、二人して人事部に直談判し、58歳でようやく外部出向を了承されました。(結局、後輩社員は特殊な業務についていたため、定年まで外部に出してもらえませんでした。)

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外部出向先は、60歳以降の定年後も65歳までそれまでの年収を約束してくれ、業務内容に関しても私の今までの職歴が十分役立つところでした。

トップも私のことを気に入ってくれており居心地は良かったのですが、好事魔多し、業後のお酒の付き合いが半端ではありませんでした。

私自身、お酒を嫌いではありませんが、毎晩のように深夜遅くまでお酒を付き合わなければならないため、飲み代だけで月に10万円ほどの出費がかさむようになり、何のために外部出向したのかわからない状況に陥りました。(しかも肝機能に異常値が出てくるようになり、主治医から「お酒に関してはノーと断りなさい。このままでは体を壊しますよ。」と宣告される始末でした。

その後、人事部には現状についてたびたび相談し、外部出向先からは私の事を気に入っていたトップからこのまま転籍するよう何度も説得されましたが、自分の体が持たないため、年収に関しては好条件ではありましたが定年を機に元の職場に戻ることになりました。

それから、人事部の方でも転職先を探してくれましたが、数社紹介を受けたうちで転職する決め手になったのは、以前一緒に勤務した先輩が退職することになったその後のポジションにつくという内容の職場でした。

業務内容は全く違いますが、先輩が1年間は一緒に残ってくれて私との引継ぎを行ってくれるという願ってもない申し出です。

年収は以前勤務していた出向先の転籍条件よりもだいぶ低くなりましたが、今の職場は70歳を過ぎても仕事を続けられるというところですので、生涯年収・今後の生きがいを考えると満足できるものです。

やはり、転職をする際には、今後の生涯年収はもちろん、現在の高年齢化時代ということを考慮しますと、長く勤められる職場というのがありがたい職場といえると思います。これが私が転職に至った経緯です。

  (転職の体験談 60代男性)

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